東京 自宅①
昨秋の出国前にはこの半分ほどだったスカイツリーも、今ではこんなに高くまで成長??した。
東京の自宅に戻り一ヶ月がたった。昨年は退職してすぐの旅立ちとなり、年末や年度替りに必要な手続きを無視して出てきたので、この帰国後の一ヶ月間はそれらの処理が重なりバタバタと過ごした。
今やっと落ち着きを取り戻した生活となった。そしてその暮らしは生まれて初めての自宅での「毎日が日曜日」の暮らしである。つまり会社へ行かず、仕事をせず、の毎日の始まりである。もちろんまだ始まったばかりであり、この先にそこからどうなるか、何があるかはわからない。
会社へ行かず、仕事をせずのひと月だが、一日がとても短く、また日のたつのが早く感じられる。本来毎日、大したことは何もせず、だらだら過ごしているのだから、退屈で時の経つのが遅く感じられても良いはずなのに逆である。一日がアッと言う間に過ぎるのだ。もちろん嫌々の仕事やキツイ事をしていると、その時間が長く感じられるというが、それにしてもである。朝起きて何もしてないうちに夜になり寝ている、そんな風に時間が後ろに飛んでいく。本当にこれがリタイア後の事実なら、あとの10年、20年はアッとの間に過ぎて気がついたら死んしまっているというほどではないか。
リタイアして確かに「毎日が日曜日」になった。しかし現時点では毎日何もすることがない、ということでは全くない。会社勤めの何十年間に時間ができればと、あれもこれもしたいということは沢山あった。具体的には本も読みたい、それもあれもこれもと、またあのことも知りたい、調べたい。見れなかった古い映画も見たい。そのために家の中に何十年前から山のように貯めこんだ本や資料にビデオなども多い。若い頃からの旅の資料や多くの写真などもぜんぜん整理せず段ボールに詰め込んだままだ。この先10年分はともかく、2年、3年はすることは充分ある。ただそれらはいつかはしたいと思っていたことだが、今日明日にしなくてはならない事では全くないのだ。人間不思議なもので、したいと思っていたことが出来るようになった今、いつでもできると思うと、ついつい今日ではなく明日に、そして明日になれば、またいつかにとなってしまうのか。
そんな訳で「しなければならない」ことではないが、「したい、しよう」と思っていたことがあるし、出来る時間もあるのに、このひと月は何もしなかったのである。
もっとも、言い訳ではないが、そうゆう風にだらだらとするのが、リタイア後の「毎日が日曜日」のように月曜日のこない生活の良いところだと、今のところ自分を納得させているのである。
東京の自宅に戻り一ヶ月がたった。昨年は退職してすぐの旅立ちとなり、年末や年度替りに必要な手続きを無視して出てきたので、この帰国後の一ヶ月間はそれらの処理が重なりバタバタと過ごした。
今やっと落ち着きを取り戻した生活となった。そしてその暮らしは生まれて初めての自宅での「毎日が日曜日」の暮らしである。つまり会社へ行かず、仕事をせず、の毎日の始まりである。もちろんまだ始まったばかりであり、この先にそこからどうなるか、何があるかはわからない。
会社へ行かず、仕事をせずのひと月だが、一日がとても短く、また日のたつのが早く感じられる。本来毎日、大したことは何もせず、だらだら過ごしているのだから、退屈で時の経つのが遅く感じられても良いはずなのに逆である。一日がアッと言う間に過ぎるのだ。もちろん嫌々の仕事やキツイ事をしていると、その時間が長く感じられるというが、それにしてもである。朝起きて何もしてないうちに夜になり寝ている、そんな風に時間が後ろに飛んでいく。本当にこれがリタイア後の事実なら、あとの10年、20年はアッとの間に過ぎて気がついたら死んしまっているというほどではないか。
リタイアして確かに「毎日が日曜日」になった。しかし現時点では毎日何もすることがない、ということでは全くない。会社勤めの何十年間に時間ができればと、あれもこれもしたいということは沢山あった。具体的には本も読みたい、それもあれもこれもと、またあのことも知りたい、調べたい。見れなかった古い映画も見たい。そのために家の中に何十年前から山のように貯めこんだ本や資料にビデオなども多い。若い頃からの旅の資料や多くの写真などもぜんぜん整理せず段ボールに詰め込んだままだ。この先10年分はともかく、2年、3年はすることは充分ある。ただそれらはいつかはしたいと思っていたことだが、今日明日にしなくてはならない事では全くないのだ。人間不思議なもので、したいと思っていたことが出来るようになった今、いつでもできると思うと、ついつい今日ではなく明日に、そして明日になれば、またいつかにとなってしまうのか。
そんな訳で「しなければならない」ことではないが、「したい、しよう」と思っていたことがあるし、出来る時間もあるのに、このひと月は何もしなかったのである。
もっとも、言い訳ではないが、そうゆう風にだらだらとするのが、リタイア後の「毎日が日曜日」のように月曜日のこない生活の良いところだと、今のところ自分を納得させているのである。
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